広告代理店と交通広告の歴史
広告代理店と交通広告の歴史
広告代理店は、商業・メディアの発展とともに存在し、繁栄してきたという長い歴史を持っています。 東京に広告代理店が誕生したきっかけは、広告主の新聞広告を代理で購入したことが始まりとされており、その後、ラジオ・テレビ・雑誌・新聞などのマス広告の誕生により広告代理店も大きく発展してきました。 また、東京などの大都市圏を中心とした交通機関の発達が、電車広告・駅広告・バス広告などの「交通広告」を誕生させ、人口の集中と商業の発達が、屋外看板・街頭ビジョンなど、「屋外広告」の価値を高めることになります。 今では「交通広告」「屋外広告」両方をあわせると雑誌広告やラジオ広告の広告費を上回るほどの市場規模に拡大しています。
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広告代理店の歴史
世界的に見ると、広告代理店の歴史は、1800年頃のイギリスで始まったと言われています。 広告主から手数料をもらい、新聞広告のスペースを代理で購入したことが始まりで、その「広告」を「代理」で購入するスタイルが今の「広告代理店」の語源とも言われています。 1840年代にはアメリカにも広告代理店が誕生しており、こちらも新聞の広告を代理で販売したことが始まりとされています。 さて、日本国内においては、江戸時代前期に今の三越(当時の越後屋)が、江戸(東京)全域に配布した「引札(ひきふだ)」(今で言うチラシのようなもの)が広告の発祥と言われていますが、広告代理店が誕生したのは、イギリス・アメリカ同様、新聞広告の代理購入からとされています。 そして、各新聞社の経営における広告収益の重要性は高まり、広告を利用して売上を拡大したい企業の増加と共に、それを扱う広告代理店の数も増加していきました。 その後、雑誌・ラジオ・テレビといったメディアの出現により、雑誌広告・ラジオ広告・テレビ広告といった広告媒体が誕生し、特にラジオ・テレビの放送(電波)メディアの台頭が広告市場を飛躍的に伸ばしたターニングポイントでもありました。 他方、時代を少し逆上って、明治5年には新橋・横浜間に鉄道が開通して、交通機関を利用する人が増加、明治11年には日本で初の車内広告が掲出されています。 現在では、交通広告・屋外広告の役割は定着し、マス広告と比較しても相対的な影響力は向上しています。
広告代理店の社会的役割
先である広告主に対して、広告計画・クリエイティブ戦略・SP戦略・マーケティング戦略の策定や、ブランド構築の支援など、「アイデアの商社」として機能することが求められ、その社会的役割は益々高まってきています。
広告代理店と交通広告
明治5年、東京の新橋・横浜間に鉄道が開通し、交通網の充実に反映して人々の行動範囲の拡大・移動時間が大幅に短縮されるなど、生活スタイルに大きな変革をもたらしました。 明治11年には、乗り物酔止薬「鎮嘔丹」が初の広告として掲出が許可され(鉄道広告第1号)、中吊り広告などの車内広告、駅ポスターなどの駅広告が次々と誕生してきました。 近年は駅の機能が乗降だけでなく商業施設を兼ねたりと、鉄道の利用形態も様々に進化し、より大型で訴求力の強い駅メディアの開発が続いています。 電車内では、交通広告誕生以来、紙媒体が車内広告の中心となっていましたが、JRのトレインチャンネルをはじめとする車内映像媒体が登場し広告主からの人気を集めています。 また、交通広告と他メディアの融合による新しい展開も実現しており、平成18年には駅広告とモバイル(IT)を融合したスイポが開始されるなど、交通広告は将来に向けてますますの発展が期待されております。
交通広告の歴史
年 | 概要 |
---|---|
1872年 | 新橋・横浜間に鉄道開通。ついで鉄道馬車等の交通機関を利用する人が増加。 |
1878年 | 乗り物酔止薬「鎮嘔丹」が初の車内広告掲出許可。(鉄道広告第1号) |
1885年 | 馬車鉄道、車内広告を開始。(中吊り広告のはしり) |
1890年 | 中吊り広告盛んになる。新橋・上野の待合室に広告が設置される。 |
1906年 | 「鉄道国有法」発布。10月から17の私鉄が国有化。 |
1916年 | 国鉄、額面器物広告開始。(屑入れ、ベンチなどの広告) |
1911年 | 国鉄、有料広告を開始。(大正12年中止し業務用のみ掲出。昭和2年に復活) |
1914年 | 東京駅開業。 私鉄各線が営業を開始。車内広告、駅広告等が開始される。 |
1925年 | バスの車体広告開始。 |
1927年 | 国鉄広告正式にスタート。(「国有鉄道広告取扱規定」制定) 日本初の地下鉄開通(浅草・上野間)。車内・駅広告開始。 |
1941年 | 帝都高速度交通営団発足。 |
1942年 | 戦争熾烈化により、国鉄有料広告を中止。 |
1946年 | 国鉄有料広告復活。 |
1959年 | 中央線で交通広告効果測定実施。(中吊り広告・額面広告) |
1960年 | ローマオリンピック関連で、国電全車両片面1社集中掲出。 ワイド掲出始まる。 週刊誌が中吊り広告の主要広告主に。 |
1964年 | 東海道新幹線開業。東京オリンピック開催。 |
1978年 | 国電ステッカー広告開始。 |
1981年 | 関東交通広告協会設立。 この頃、駅ばりが活況を呈し、セットが次々と登場する。 |
1984年 | アドパック第1号実施。(東京駅) 国鉄駅ポスターに「パノラマセット」新設。 |
1985年 | 山手線新車導入に伴い「新B額面」登場。 |
1987年 | 国鉄の分割民営化実施。JR7社に。 |
1988年 | 交通広告の広告費、ラジオを抜く。 |
2005年 | トレインチャンネル本格販売開始。 山手線車体広告開始。 JR東日本の駅構内に商業施設「エキュート(ecute)」が開業。 |
2006年 | 東京メトロの駅構内に商業施設「エチカ(Echika)」が開業。 スイポ(駅メディアとモバイルの融合)開始。 |
2008年 | JRが駅サイネージ(デジタルポスター)を東京駅で商品化。 |
2009年 | JRが駅サイネージをJ・ADビジョンとして東京駅、品川駅、横浜駅の3駅でセット販売開始。 |
2016年 | JRが新型車両山手線E235系を本格導入。従来の窓上ポスター枠を無くし、3面のモニター(窓上チャンネル)を車内6ヶ所に設置したADトレインとしての媒体運用を開始。 |